
標高約2300m。ここで人は文字通り「雲の上の人」になる。眼下に遠く「下界」があり、その上に雲海が広がり、その上に小屋がある。7月上旬、上の方はまだところどころ雪が残っており、水は雪渓から生まれたての雪解け水が長いホースで引かれて小屋まで届いている。
富山県の奥、岐阜と長野との県境にほど近く、有峰ダム湖を眼下に眺めながら4時間前後歩くと辿り着くのが、ここ太郎兵衛平である。黒部川源流域のこの一帯を更に奥へ向かう人々は、この地を分岐点として薬師岳や立山方面へ、薬師沢を経て北アルプスの最奥の秘境ともいわれる雲ノ平や高天原へ、あるいは黒部五郎岳や(富山・岐阜・長野3県の境である)三俣蓮華岳やその先の双六岳・槍穂方面へと行き先を分かれることになる。
ここに建つ太郎平小屋の前からは、ゆったりとした薬師岳(2926m)の姿が間近に迫る。こちら側からの眺めは穏やかで女性的な姿だが、さらに奥の高天原方面から眺める”裏側”からの薬師岳は一変して荒々しく男性的な姿を見せる。この山を特に愛した富山県出身の英文学者・田部重治(たなべじゅうじ)は、このように薬師岳を讃えている。
―全く太郎兵衛平に立つた時の私は、北國の一部がうづたかまつてゐると云ふ感じを抱いたと云ふよりも、私達人類の住んでゐる大地其物が大きくうづたかまつてゐると云ふ感じを抱いた。つまり、私は何となく永遠と云ふものの一角に足を踏み入れたやうな歡喜を感じたのである。
―「山は如何に私に影響しつつあるか」昭和4年「山と渓谷」(第一書房)より
―尨大な山容と、永劫不滅の白雪と、颯爽たる高原と、幽谷と、伝説に豊かな麓の孤村とをもつ薬師岳ほど、私の心を動かしたものはない。朝夕の太陽の反映がこの山にこもごももたらす色彩の変化、十月の初雪の頃が示すその物凄い膚は越中の平原に育つた私の幼い時から、この山に対する特別の執着を与えた。立山に登つて目を南方に転ずる人、黒岳(筆者注…水晶岳)に立つて黒部川の彼方に目を向ける人は、誰しも美しい残雪と尨大な巨体とを憚かることなく天空に晒すこの山の雄姿に心を奪はれない者はなかろう。
―「薬師岳を憶ふ」昭和6年「峠と高原」より
(以上は五十嶋一晃著:「岳は日に五たび色がかわる」より引用)
夏の間2ヶ月ほど、この山のふところに抱かれたような太郎平小屋に身を寄せて、辺りの自然や季節の変化を肌で感じる機会を得た。そこでは周りの草地や山々が日々その色合いを変え、次々と咲く花が季節の移り変わりを告げる。刻々と姿を変えていく大空の雲にも魅せられた。美しい夕焼けや、見たこともないようなオレンジ色に染まった雲も見た。残照の中で鳥達のその日最後のさえずりがあちこちから聞こえてくる。夜は満天の星空。天の川がまるでほの白い雲のように天頂を横切っている。
小屋から2時間ほどで行ける上ノ岳(北ノ俣岳:2661m)への道をゆっくり時間をかけて歩くのが、時折りの私の楽しみだった。なだらかな草地が一面に広がり、雪解けを待っていた花達がいっせいに咲き始め、所々で池糖が空を映し出している。雪が輝いている。 …こういう場所では時間の流れが日常とは異なるのだろう。ちょうど昼下がり時で、時間が止まっているような、そうでなくてもとてもゆっくり流れているような、不思議な時間帯だった。時々雲が大きな影をつくって移動していく。風の音、ウグイスの声、セミの声、トンボ、蝶々。右方向にはまだ私の知らない山並みが淡い青のグラデーションで遥か彼方まで続いている。時々鋭い羽音をさせてアマツバメが空を切っていく。チングルマやコバイケイソウの白い色が、点描のように遠くまで広がっている。荒々しい岩肌の水晶岳。裾の方の山肌は鮮やかな緑色に染まりつつある。
この辺りの草地を再び訪れたのは滞在期間も終わりに近い8月下旬頃だった。2週間ほど足を運ばないうちに、この辺りはすっかり秋の姿に様変わりしつつある。さわさわと風が草地を撫でて通り過ぎる音だけがしている。この日も雲がゆっくりと地面に影を落としながら移動していく。名残惜しいような気持ちで風に吹かれている。今日が本当に最後の1日だ。微風がここちいい。いつ行けるのだろう、水晶岳と遠くの峰々。滞在している間に見なれてしまっていたが、目の前の薬師岳は本当に美しい。周りの風景を何度も呼吸し、身体の内に収め、この場所に別れを告げる。山ふところに抱かれた、夏を過ごしたあの小屋にも。下界では処暑が過ぎたばかりだが、ここではもう朝夕は寒く、日差しの暖かさがありがたいくらいなのだ。山上での夏は本当に短く、季節は急ぎ足で次に移っていく。最後の昼下がりだ。

たんけん、たんけん、探検だ! 薬師沢をたんけんだ 雲の平をたんけんだ。 そして いつか見つけよう♪ ぼくらがどこにいるのかを!
(小屋の雑記帳に残っていた言葉より)
(取材・文 テジマアキ)














