今回の吉野行きの最終目的地は、西行庵だった。吉野の地図では一番奥まったところにある。
吉野のそのような奥深くに3年ほども暮らしていたという西行は、平安時代末期から鎌倉時代の世に生きた歌人であり、出家した僧でもあった。もともとは上皇に仕える武士であったが23歳で出家。各地を転々とし、数々の歌を残した。西行庵は彼が俗界を避け、隠遁生活を送った所と伝えられる。
その西行庵への道は、楽なものではなかった。金峯神社の右にある山道が、更に奥まった場所にある奥千本、西行庵方面へと続いている。この道に入る脇には、芭蕉の句を記した板が立っていた。
さくら狩り 奇特や日々に五里六里 松尾芭蕉
前日の雨で、この奥へ向かう山道はひどいぬかるみになっていた。ここまで来て引き返す気にもなれず、靴の中まで濡れて冷え切り、どこか強行軍のようになって、ひたすら目的地に向かう。薄暗い林の中に、細い道が続いている。
西行庵は本当に山の奥まったところにあった。山の林の中に平らになった場所が少しあり、そこにぽつんと建っていた。こんなに奥深い所に西行は何年も暮らしていたのか。彼がここで生活した当時、この辺りはいったいどんな様子だったのだろう。少なくとも今のこの場所は、周り一面がうっそうとした林で、一夜を過ごすのも私などは怖いと思ってしまうような、山奥深いところだった。この地はまた奥千本と呼ばれる辺りでもあり、薄暗い霧の中に、清楚な色の桜がうっすらと咲いていた。
桜をこの上なく愛した西行には、桜や吉野のことを詠んだ歌も数多い。
吉野山 花の散りにし木のもとに とめし心は我を待つらむ
吉野山 梢の花を見し日より 心は身にもそはずなりにき
ねがはくは 花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃
西行庵から数分の所に、西行が歌にも詠んだ苔清水が現在でもなお涌き出ている。
とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなきすみかかな
西行より500年のちの世に生きた芭蕉は、西行の足跡を追い、この地を2度訪れている。芭蕉は苔清水にも足を運び、
露とくとく心みに浮世すすがばや
と詠んだ。 「片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず、…」と記した芭蕉は各地を訪ね歩き、その後半生を旅に捧げた。「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」と詠み、訪れていた大阪で客死している。
…私の方は、足元から濡れて身体の芯から冷え切ってしまい、金峯神社辺りまで戻ってようやくひと心地ついたような具合だった。奥千本バス停に着くと、朝から崖崩れで運行停止になっていたバスもようやく復旧したらしい。バス券販売所のおじさんは私の足元を見て、「西行庵に行ってきたね」と楽しそうに笑った。
取材・文:テジマアキ














