
「食禅(じきぜん)~器から禅を学ぶ~」、開催に際し「食禅」って一体何だろう?と疑問をお持ちの方も多いはず?!
そこで、toniさんと忍昭和尚に食禅についてあんなことやこんなこと、そして、お二人の素顔を探るべく少しプライベートな話(笑?)を含め色々と聞いてみました!

普通の器で頂くことと、応量器との違いというより、私にとってまず衝撃だったことがあります。それは「食べる時の音」でした。
これまで、食べ物を噛む時に出す音が、食材によって違うことが面白いと感じてきました。
私達の先祖が土にかえり、新たに命となって私達の体に入ってきてくれる。それは先祖たちの魂と共に奏でる音楽だと感じたからです。
それこそ、和尚の言葉にある「時空をこえて、マスターたちとまみえること」だと。私はその「音」を楽しんできました。
ところが忍昭和尚に応量器の食事作法を教わる中で、「たくあんを噛む音を立てないようにする」と言われて、衝撃を受けました。
そして「先祖と奏でる音楽」と考えながら食べているうちは、自分が「いま」以外の何かを意識しているのだと気づきました。
普通の器では、すでに盛り付けられた食べ物を崩していく食べ方をします。
私はそのことに、なぜか物足りない、味わい方が浅い、と感じてきました。
料理人は料理のために皿を選び、美しく盛り付けます。それは絵画です。
この場合、ひとたび箸をつければ完全な絵は破壊されます。壊されて体に入って土に帰る、このプロセスが好きで料理という芸術を続けてきました。しかし応量器では小さな器に入った食べ物を一口ずつ意識していただくことができます。
それも同じく破壊ですが、その破壊に至るまでのプロセスの丁寧な美しさに惹かれます。
まず祈りがあり、袱紗を開く、器や箸、匙などを並べる全ての動きに、生命の美があふれています。
自分の手でいただいている食べ物が少しずつ器から減っていく様子を見ているだけで、流れる時間、自分自身と全ての存在がいとおしいのです。
また、他の方が応量器で食事をいただく姿を観察していると、その方の静かな美しさが、全身からにじみだすのです(実際の修行では、他人を観察してはいけないのでしょうけれど)。
昨年、京都のお寺で開かれた3日間のワークショップで料理をお出しした際、応量器を使う機会に恵まれました。
私は食事の時に、忍昭和尚に教わった作法を、うろ覚えながらも実践してみました。すると最後の日にある初老の男性が皆の前でこう言ってくださったのです。「ト二さんが食べている姿が本当に美しかったので、食事の度に見ているのが楽しみだった」と。
私はびっくりして照れましたが、その時に忍昭和尚の言葉を思い出したのです。
「この器でいただくことは、仏様になるということなのです」
このような体験は、普通の器ではできないのでは、と感じます。
皆さんいかがでしょうか?食禅とは一体何なのか少しずつみえてきましたか??
実は私もスカイプにお邪魔したことがあるのですが、お二人の掛け合いは絶妙で深い話あり笑いあり…。耳が離せません。
皆さんもぜひ是非toniさんと忍昭和尚の世界を楽しみながら、食禅とは何なのか実際に体験してみてください♪
(SQ Life ナツカ)